川の流れと体内の流れ
2010年1月1日 § コメントする
”行く川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず”
- 鴨長明「方丈記」
鴨さんは、俗世を眺めてこう記しましたが、
ロルフ博士は身体を観て同じようなことを言いました。
身体の中に流れるもの…、血液?リンパ?…とお思いですか?
人の身体は60兆のも細胞でできているといわれます。
それらが常に代謝し、機能に破綻がないように保たれます。
その自然の流れに逆らい、悪い生活習慣、食習慣などで
強度に破綻した状態が病気や不快な慢性症状です。
つまり人の身体は、絶え間なく流れる川のように変化を続けていて、
機械のように壊れたら取り替える、というのでは成り立たないのです。
その変化のベクトルを修正して行くのが、
ストラクチュラル・インテグレーションでもあります。
健康な人であれば、2~3年でほとんどの細胞が入れ替わります。
60兆÷2年=…一日にどれくらいかお分かりでしょう。
ずっと同じ自分でいるつもりでも、身体はまったく別物です。
S.I.のセッションでも同じで、前にも触ったことのあるところへ
再び手を当てる時も、そこは既に違う場所。
計算や先入観を捨てて、常に新しい全体を捉え、
”今”の全てと向き合っていく必要があります。
身体、健康、仕事、人生の未来は”今”がつくる結果です。
陽はまた昇りますが、いつものことも
新年また心新たに。
今年もよろしくお願い申し上げます。
では、また。
感情は心の中に?頭の中に?いや…
2009年10月27日 § コメントする
最近のクライアントさんで、
人に触れられることが苦手な方がいます。
とてもくすぐったがりなのです。
皮膚感覚が敏感なのでしょうか?
それほどくすぐったく感じない人は鈍感なだけ?
仕事として人をたくさん触っていると、
どうも違うように感じます。
”くすぐったさ”も、ひとつの身体の防衛反応ではないでしょうか。
ゆっくりとセッションを進めながら、
私の手と、そしてクライアント自分自身の感覚と向き合っていくうちに、
その”くすぐったさ”が消えていくことがよくあります。
私の手に危険性を感じなくなったのか、
ただ慣れただけなのか、それはわかりません。
しかし、たいていの場合、その下から出てくるのは
”痛み”
です。
S.I.的に見るならば、それは結合組織が望ましくない状態に
あるところに見られる症状です。硬縮したり癒着したり。
それは繰り返しつくらざるを得なかったパターン(身体の動き・反応)
の表れとも言えます。
S.I.を確立したIda Rolf(アイダ・ロルフ)博士の言葉を思い出しました。
↑ アイダ・ロルフ博士
”Connective tissue is the medium of emotion”
「結合組織は感情の媒体である。」(…たぶんこんなかんじ。)
つまり、くすぐったさのある人、場所には、簡単には人に踏み入られたくない
感情や痕跡をしまいこんでいるのかもしれません。
もちろん、本人すら気づいていないことのほうが多いです。
但し、彼女の言葉には多分にアソビしろがあると言うか、
額面どおりに受け取ってそれきりということはまずないので、
今回の言葉ももう少し奥行きがあります。
と言うか、かなりありますので、全部を書くつもりはありません。
また機会あるごとに、少しずつ。
施術の経験をつむほどに感じるのは、やはり人は部品の集まりではなく、
そこにある全てが必要で、その調和があって初めて人なんだということ。
あなたは今 「調和」 を欠いてはいませんか?
多くの場合はS.I.で経験するそれはすがすがしく、しかし時には辛いかもしれませんが、
人として成熟するなかで、自分ひとりでは出来ない自分との向き合い方、
それがストラクチュラル・インテグレーションの体験にはあります。
誰しも、一度は経験してもらいたいものです。
では、また。